『できた』は、本当にゴールなのだろうか

「できること」は、子育てでも支援でも、とても大切なことかもしれません。

でも、「できた」という結果だけを見ていると、見えなくなってしまうものがあります。

その人は、本当に安心して過ごせているのだろうか。
その「できた」は、無理なく続けられるものなのだろうか。

今日は、そんなことについて考えてみたいと思います。
佐々木 康栄 2026.06.26
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「今日は最後まで参加できました。」
「一人でできました。」
「最後まで頑張れました。」

もちろん、それは嬉しいことです。
僕も、「できるようになること」には大きな意味があると思っています。

でも、その「できた」は、誰にとっての「できた」だったのだろうか。

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続きは、1261文字あります。
  • 同じ「できた」でも、見え方は違う
  • 「できた」の裏側にあるもの
  • 「できる」と「続けられる」は違う
  • 支援は、「できた」を増やすことだけではない
  • 「できた」を評価する前に
  • おわりに

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